賭博競技場 ニーアオートマタ ごまかし→大切なものを失ったものもまた、資本主義の担い手である、搾取される消費者であり労働者である。 購買活動=消費行為とは、代償行為でもある。 賭場は、胴元が有利なように作られている。

「上層部も馬鹿じゃない。憂さ晴らしを禁じて不満をためた結果、脱走や離反を招くのがわかっているから見逃している。また、利益の一部は上に流れている」
「ここにいる連中は、機械生命体に大切なものたちを奪われたものばかりだ。」
「ここにいる連中は、大義名分があるが、大義名分を盾に自分の楽しみを求めているようにしか見えない。」
「賭けで勝てない。俺も戦闘に参加しようかな」


アンドロイド主催の賭博競技場のサブクエスト。かなり腐敗がある。機械生命体主催の競技場のサブクエストと比べて、参加者にミッション意識がない。

それに、ニーアシリーズの世界観を見るに、「大切なものを奪われた」場合に主要キャラは賭博競技場の面子のような事後行動をしない。

デポル・ポポルは象徴的に破滅的な行動をとった。アダムが死んだあとのイヴは、周辺の身内から命を奪い取ってまで復讐に身を投じた。割りきれるなら、9sと2aはもっと楽に和解している。サブクエスト「復讐」の機械生命体も救いがあった。
あの連中が、仇の同類を惨たらしく扱って満足する、なんて短絡的な解消の道を選べるなんて思えない。

デポル・ポポルは行き過ぎだが、上層部にとっては身内意識由来の暴走が迷惑なのだろう。あるいは、世界の状況を悪化させたのも同様の理由かもしれない。

可能な限り、対症法を用意したい。そういう経緯で賭博競技場は成立しているのではないか。 


「人間は代わりにやってくれるものがいると堕落する」「欲しいものそのものでなくとも。手の届く、命の危険がないところに金で換えるものがあるなら、そちらに手を伸ばす。」

賭博競技場において、機械生命体達に対しアンドロイドは、命やリスクを賭けるか賭けないかの選択の余地があった。つまりは管理される見込みのある、箱庭のリスクだということ→「敗けが混んだ末の破産」「最前席の流れ弾」「アンドロイドの戦闘参加」

結論
確かに、賭博競技場入場者達は大切なものを奪われた時、制御できない感情を抱えたのだろう。
しかし、そんな連中の破滅行動に、社会の上層部は危機意識を持ち、騙すための舞台を用意した。それが「営為」で動くシステムとしてのカジノ。
確かに、入場者達は機械生命体達への復讐や天罰を望む方向に傾く恐れがあった。しかし、確実かつリスクをコントロール出来る「コロセウムカジノの運営費を支出し、機械生命体が苦しむ環境の保全に協力する」そんな代償行為を上層部が用意することで。
根底には「大切な人と同じく強力な機械生命体に敗けて殺される」恐怖を抱える連中を、「復讐の代償行為の提供」という「金で換える、消費財としての嗜好品の提供」でコントロールする手法を確立したわけだ。
あのヒエラルキーは。一種のグリーフケアであり、サイコセラピー。

感想
機械生命体の目から見れば、運営側のアンドロイドはソドム・ゴモラのごとき不寛容な連中だが。結局連中もまた、自分で制御できない感情という爆弾を抱えており、
上から目線の上層部の都合で、「営為」システムのもと資本主義的に「提供される物を、歓ぶよう躾(嗜癖づけ)された」。ようは飼い慣らされた連中にすぎない、と言うことだ。
結局は、水槽の中で熱帯魚がいじめっ子といじめられっ子に別れて「いじめ→鬱憤晴らし」に明け暮れている。搾取するために生かしている、水槽の持ち主の意のままにされる、そんな構図に過ぎない。


賭博競技場 ニーアオートマタ ごまかし→大切なものを失ったものもまた、資本主義の担い手である、搾取される消費者であり労働者である。 購買活動=消費行為とは、代償行為でもある。 賭場は、胴元が有利なように作られている。