されど罪人は竜と踊る ショート 戦争とは、死の計量化という娯楽である。→これがザッハドの祝祭の本質ではないか。すなわち戦争遊戯。猟奇的な風刺寓話としての殺人。

されど罪人は竜と踊る 一巻より

一巻十章 翼持つものたちの群舞 戦争とは、死の計量化という娯楽である。 最前線の兵士には分からない。 帷幄で指揮する将軍にも分からない。 玉座に座る王様にも分からない。 娯楽と戦争の違いは、誰にも分からない。  レオニダス・プロッツェル「闘争と妄想の饗宴」皇暦一二一年

 

戦争とは、死の計量化という娯楽である。→これがザッハドの祝祭の本質ではないか。すなわち戦争遊戯。猟奇的な風刺寓話としての殺人。

 

はっきり言えば、ゲームの正統派定石に沿った戦略を取ったのは司祭のジン⚫グエンくらいな気がする。一応祝祭は、普段アンヘリオが拘っている殺人の(映画芸術性?)得点を競うものでなく、殺害数を競うものだ。得点を競うよりも素朴な気もするが。

ここで問題となるのは猟師ロレンゾと書。ロレンゾは相手を殺す際に、本人と三頭の魔犬でかかっている。さて、魔犬が止めをさした相手はロレンゾの殺害数になるのか。なるのだろう。そうじゃないと書の異貌のもので仕留めた相手が使徒の殺害数にならない。同じように、人間の部下を使って相手を殺害させた場合も、原則的には殺害数になるはずだろう。複数の使徒を仰ぐ多重受けの事態のエラーも考えられるが、指先が殺した相手も使徒の殺害数に加算されないとザッハドの使徒の組織形態がおかしくなる。

基本的には、より多くを殺すためにはより多くを駆使すればいいということだ。つまり宗教的詐術なり政治権限なりで手先を統率できる相手の首ほど美味しい。より多くの殺人者へ命令できるヒエラルキーの上層を狙うほど殺害数は入りやすくなる。ここら辺何故竜は長く生きるほど強くなるのか、という問いの答えか。長く齢を重ねるほど、捕食者としてより多くの餌を殺して、より多くの殺害数を稼いだゆえに格が上がるということか。

戦争で、英雄と仰がれる暗殺者は、如何に相手の頭を見分けて相手の手先に阻まれず殺すかが大事ということ。相手の頭はこの場合、長く指導者階級に留まり、勢力のより多くの部下に人を狩らせた歴戦の勇将、ということになるか。エリダナでの祝祭、個人として以上に戦争事業を行っているパンハイマが最大の得点元だという見解で正しい。アンヘリオの使徒が使徒を狙ってOK、というのは裏道な気がする。いや、異貌のものの殺害数も略奪できるなら、より多くの殺害数を誇る異貌のものの、特に異貌のものの軍団の総司令官を書に封じられている相手からでも見つけて叩くのも手段ではある。故にカジフチのように単純に強い一個が殺人を犯していくのは、祝祭の正攻法では無いのだろう。