「巫女→サイキック→騎士→ナイト、守護者」「楽園の素敵な→レフェリー、ライブラ」博麗大結界→幻想境の巫女とは何か。巫女の側から考える。そして人里の慧音とのギャップ。ファンタジーの王道はやっぱりナイト様。楽園の素敵な巫女はエリザベスの騎士→エデンズ・ラブリー・サイキックでは。しかし審判員レフェリーの騎士とも読め、審判ヨハネの黙示録の四騎士の一人ともとれる。霊夢→み霊→御霊→産土神の御霊信仰。または巫女をふじょと読んでじょふ→ショップ→店。店は妖怪とばかり仲良くしている、かな

始めに巫女とは。霊夢という言葉は「霊→れい、でなく、たま」で「たま、む」→「たま、み」→霊、み→そして再び「たま→れい」に戻して。みれい→ 「ごりょう、御霊」という神道の単語に由来するのでないか。御霊信仰、怨霊の祟りに対する祭祀に由来する概念で、神社は上御霊神社下御霊神社があるようだ。地方にこだわるため、産土神、その地方で生まれた氏子の生まれたときから死後まで縁のある土地神としての性格が強い御霊だと見る。

楽園の素敵な巫女。エデンズ、ラブリー、サイキック(またはメディアム)と英訳すべきだろうか。サイキックは、きさい→き、さい→きし→騎士でナイトの意味か。エデンズラブリーは、「え、らり、ずら、ぶえ、ず」→エリザベスか。エデンズラブリーを並べてーずえ、ぶ、ん、でりー→セブンティー70または17とする読みもあるが脈絡がない。

博麗霊夢の楽園の素敵な巫女、とはエリザベスの騎士、という読みだろうか。または

 →エデンズ・ラブリー・サイキックでは。しかし審判員レフェリーの騎士とも読め、審判ヨハネの黙示録の四騎士の一人、黙示録の四騎士の一人ともとれる。霊夢にそんな気はさらさらないだろうが。エデンズラブリー→ラファエルとかライブラ(天秤)の騎士→ナイト→守護者というべきか。弾幕ごっこの審判が巫女→サイキック→騎士であるなら、異変を審判が解決しにいくのはレフェリーがプレイヤーやってるようなもので公平性に関わるのでは。うーん、解決役の監視員についた方がいい気がする。

そして、 博麗の巫女は幻想境の巫女。そう言われて久しいが、ここで言う巫女とは「駒」「馬子」のことではないか。実際霊夢は馬並みに気性が荒い。はくれいじんじゃ→くれいはじゃく→け、い、は、じょ、う→競馬場。

八雲紫→ハーン→ギリシア系に因むならトラキア、ディオメーデースの人喰い馬だろうが、そこまでは不明。千里馬などもいる。

 

競馬場の騎手→乗馬→騎馬武者と騎士。本来幻想郷の治安を守るのは、その地方の前衛職が似合っているわけだし。「空を飛ぶ能力」の起源も、一定時間にどれだけの距離を移動する能力があるか、という場合の空を翔ぶような速度駈ける馬と騎手につけられる名前だと思う。乗馬の利益と馬の供養のためにこの神社はあるのでないか。どういう馬かと言えば「周の穆王八駿」のように、地に足をつけることがない言われるレベルの名馬だろう。死馬の骨を買う、戦国策の故事で、その当時の対価は五百金とされている。

不思議な飛行能力を皆が手にする前は、幻想郷の移動手段も馬だった頃があり、馬を使う騎手がいた時代があるはず。その頃に戦力となった駿馬の骨が、博麗神社の宝のひとつでないかと私は見る。スプリガン説で博麗の神は何かを守っているのでないかと推測したがこれでは。

あるいは偉い人の馬か。英国のオカルトであるスプリガンが守るのであれば、アーサー王とかエリザベス女王ヴィクトリア女王の馬や持ち物だろうか。エリザベス女王エドマンド・スペンサーが妖精の女王という長詩を送ったともされる。

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人里と神社が離れすぎてて、妖怪の神社みたいな立地だと私は思っているが、一応賭博場、競馬場としての住所であれば人里から少し離れているのは理解できる。東方鈴菜庵の東方心綺楼、東方深秘録の時に人里でギャンブルが行われていたという情報から、幻想郷の人間が賭博ー勝敗予想に熱いのは確認住み。かつては流鏑馬等、馬試合のスポーツで博麗神社付近で賭博が行われていたのかもしれない。今でこそ森に埋もれている場所や神社の下も、何かの施設が埋もれているかもしれない。命蓮寺の側に霊廟が埋まっていたように。霊夢個人で難しいなら、八雲紫等と交渉して外の世界の勝負を上映してもらう場外馬券場にするとか、もしくは天狗の新聞大会や大将棋戦を賭けの対象にする手がある。競馬は舞台の整備が難しいが、競艇ならどうだろう。競技場の環境設定も含め河童に競艇試合を定期的に行ってもらうよう交渉するのも面白いかも。

 

もし本当にアクセスを良くしたいなら案内人ビジネスをするか、地下鉄を通すべきだと思う。地表、地上の木は切ってもまた生えてくる上に妖精や妖怪の生息地である、しかし地下からアプローチすればどうか。直通で道に迷わない上に、常駐の管理組織があれば妖怪による被害を対処するのも効率的だ。博麗の巫女も効率的に神社と人里の間を守れる。あるいは人里からの連絡があったときだけ列車を向かわせ往復する形にするのでもいい。その際には是非とある魔術の禁書目録御坂美琴のような電気使いに、列車の架線を管理してほしい。トレイン・レールガンみたいなのりで。洩矢神社のロープウェイ計画の二番煎じであるがメリットは大きいはず。

最近、何故妖怪が実効支配している土地の隅に、人間の神社があるのかと気になっている。普通人間のための施設はもっと人間のアクセスの良い場所にあるはず。伝統のある土地だから守る、と言うにしては付近に何の特徴もなく。応接する巫女自身がその謂れを語ることができないのはおかしい。あるいは文花帖での上白沢慧音の人間と妖怪のバランスについての理論を遵守したものか。しかし。だったら今いる「妖怪を問答無用で退治」、という巫女は偽物で、かつての聖白蓮のような妖怪と人間の橋渡しをするような思想の持ち主が本物の巫女でなければおかしい。「太平洋の架け橋」「私は太平洋の橋になりたいのです」新渡戸稲造東京大学の面接時にスピーチした発想を妖怪の土地のそばで実現している人物がいたら、そいつこそ境界の巫女になるべきだと思う。個人的には八意永琳蓬莱山輝夜、新キャラなら今泉影狼に勧めたい。って言うか慧音が博麗の巫女になるのは何故だめなのか?幻想郷で八雲紫の次に、その世界人間と妖怪のバランスにこだわりがありそうだが(レミリアや神子も内心の関心は高そうだ)。妖怪を問答無用で退治、って思想は人里の側にいる巫女が持つべき思想だろう。四方を妖怪に囲まれた飛び地で抱くべきじゃない。オセロのように、点と点を繋いだ間も人間の実効支配地と見る思想の都合だろうか。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「最近の巫女は妖怪とばかり仲良くしている」という不満があるが、逆に言えば巫女と仲良くなったら、何を人里の面々はして欲しいのだろう。巫女→ミディアム→みあであ→マーダー→殺し屋だろうか。多分、、神社と金銭取引で付き合う利益をはっきりと打ち出せている者は稀だ。そもそも巫女が妖怪とばかり仲良くしている、とのことだが。巫女の所属している神社が本分を外れている、という不満のはずなのに「巫女が」という不満になっている。巫女をしている博麗霊夢個人の行動がおかしいならはっきりそういうはず。多分「巫女」 という言葉を「巫、女→ふ、じょ→じょふ→ショップ→店」と読み替えているのだろう。または巫女→ミディアム→媒介者→仲介業者、卸売業者、仲買人のことか。カッパと人里の人間のどちらが、外部の商人にとって魅力的な金銭取引相手か考えると、やはり人間は冷されるだろう。ミディアム→マーチャントのこととも考える。店→商店→商業従事者は、人間より他種族と付き合っているのか。ミディアム→ディイムイ→同盟?